【Vって何?】メタ・Vtuber論で見る天使代行ラングドシャ【初配信】

注意事項

①天使代行ラングドシャの初配信を視聴していることを前提とする部分があります。できれば以下のリンクから後半部分だけでもご視聴ください。めちゃくちゃ面白いです。また、天使代行ラングドシャについて知りたい方は同時投稿された「V推しなんしょ」の当該記事をお読みいただけますと幸いです。

②大部分にVtuber一般に関するいわゆる「メタい」話が含まれます(もちろんラングドシャ他のVtuberを貶めるものではありません)。アレルギー反応の出る方はブラウザバック推奨です。

③当然のことながらこの記事内での解釈は絶対的なものではありません。この記事を使って他人に価値観を押し付けることのないようにお願いします。(ここでの「他人」とはもちろんラングドシャ本人を含みます。)

この記事に出会えたあなた、運がいいわね!

この記事ではメタ・Vtuber論を振りかざしながら「天使代行ラングドシャ」の初配信を解釈していきます。今回問題にしたいのはこのシーン。

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直前のシーンで高所から飛び降りた「普通の女の子」であるラングドシャは、「ラングドシャ様マジ天使」というコメントを求め、結果として実際に「天使」としての能力を手にして飛び立ちます。

このシーン、「バーチャルではどんな自分にもなれるから」という定型句に単純に当てはめてあっさり理解してしまうにはとても勿体ないシーンだと思います。このシーンを理解するために解決すべき問いは2つ。

①そもそもバーチャルYouTuberの「バーチャル」とは何か

②なぜ彼女は実際に飛行能力を手にして窮地を脱することができたのか

それでは順番に、この問いの答えを探っていきましょう。

Vtuberってなんなのさ

「virtual」の辞書的な定義について

virtual-(表面または名目上はそうでないが)事実上の、実質上の、実際(上)の、虚像の

 (weblio英和和英辞典より引用)

「virtual」とは要するに「そうじゃないってことになってるけど実際のところそう」みたいな意味の言葉です。例えば「一応代表者はAさんってことになってるけど実際代表の仕事をしてるのはBさんだから実質Bさんが代表」のような場合が考えられます。では、Vtuberにおいては何が「一応そうじゃないけど実際のところそう」なのでしょうか。

こん天使~、バーチャル天使YouTuberの天使子です

ここで、我々と同じ世界に住む人間の「人 間子(ひと まこ)」、そしてバーチャル天使YouTuberの「天 使子(てん つかいこ)」がいたと仮定します。(当然ラングドシャをはじめとする実在のVtuberとは一切関係ありません。)

人間子は天使子のいわゆる「中の人」です。つまり人間子は天使子に生まれ等の基本情報を付与し、天使としてインターネット上で活動しています。

そして最後の登場人物は我々「リスナー」です。

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我々リスナーは「天使子は人間子が演じているものである」ということを分かっていますが、「天使子はバーチャル天使YouTuberの天使子であり、実際に天使である」ということを本気で疑うことはしません。逆に人間子演じる天使子も、「リスナーは『天使子は人間子が演じているものである』ということを分かっている」ことを分かっていますが、「天使子は人間が演じているものであり、実際には天使でない。」ということを明かすことはありません。

ここで人間子と天使子、リスナーの3要素から成るこの空間では、全員が「天使子は本当に天使である」ということを認めています。

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 するとどうなるでしょうか。そう、この空間内では「天使子は本当に天使である」ということが実質的に正しい」事柄になっているのです。

天使学校で堕天の怖さを教えられたり地元の名産天使バーガーが好物だったりという天使エピソードは「事実」ではありませんが、少なくともこの空間内では実質的に正しい「真実」なのです。(ここでの「事実でない」というのは人間子からの視点のみの話です。)

これがバーチャルYouTuberの「バーチャル」部分の意味するところです。ただ、これだけで例のシーンの説明はできません。なぜならラングドシャは初配信内で実際に天使の能力を手にしている」からです。

ラングドシャが天使になった過程

実際に天使になる仕掛け

先ほどの考え方からすると、初配信においてラングドシャが実際に天使の能力を手にしたというのはあり得ないことです。しかし、この考え方を逆手に取った「ある仕掛けによって、ラングドシャはこの考え方の元で実際に天使の能力を手にしました。その仕掛けとは一体なんなのでしょうか。

バーチャル・バーチャルYouTuberラングドシャ

その仕掛けとはラングドシャ演じている人自体がバーチャルYouTuberである」ということです。というのも、ラングドシャは「魅月 猫」という普通の女の子が演じている存在であるということが初配信内で語られています。

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するとどうでしょうか。初配信に「魅月猫とリスナー」「ラングドシャとリスナー」が対峙する階層構造を持った2つの空間が存在することになります。ここが通常のVtuberの配信と異なる点であり、ラングドシャの天使としての能力を実際のものにしている点です。

あの瞬間、何が起きたのか。

リスナーが「ラングドシャ様マジ天使」とコメントした瞬間、「ラングドシャとリスナー」の空間において「ラングドシャが天使である」ということが「真実」になります。それに加えて、「魅月猫とリスナー」の空間において「魅月猫から見てもラングドシャは天使である」ということが「真実」になります。これによって表面にある「ラングドシャとリスナー」の空間においては、「ラングドシャは天使であり、翼で空が飛べる」ということがその空間にいる全員にとって正しい「事実へと変わったのです。

これが「ラングドシャが実際に天使の能力を手に入れた」ということの理由であり、このシーンのメタ・Vtuber論的な解釈です。

「本物」の天使代行、ラングドシャ

いかがでしたでしょうか。概念の話なので分かりづらいのですが、できるだけ実感に沿った説明をしたつもりです。この記事を通してメタ・Vtuber論の面白さやラングドシャのすごさに気づいていただけたら幸いです。こんな背景を持ったストーリーを展開できるラングドシャ様マジ天使だと思います。チャンネル登録した方がいいですよ。

(記事作成:852)

家長むぎによる「家長むぎ」論・続論

注意事項

①この記事はにじさんじ所属バーチャルライバー「家長むぎ」が2021年4月11日に行った「人生の短さについて、家長むぎの定義、贈与的なあれこれ」についてのものです。適宜引用してはいますが、記事を読む前に一度アーカイブを視聴することを推奨致します。この記事を読みに来るようなあなたにおすすめの、とても興味深い配信です。

②最大限配慮はしていますが、いわゆる「メタい」内容が含まれます。アレルギー反応の出る方はブラウザバックをお願いします。

③当ブログにて公開されております「家長むぎによる家長むぎ論について」を先に閲覧された方が、内容や考え方の比較などでより面白いと感じていただけると思います。なお、こちらの記事の方がより踏み込んだ内容になっています。

この記事ってどういう記事なの?

配信から汲み取るべきこと

 「人生の短さについて、家長むぎの定義、贈与的なあれこれ」は、家長むぎ自身が「家長むぎ」の在り方、もしくは生き様について語った配信です。この中で家長むぎが伝えたいことは「Vtuberとはこういうもので、こうあるべきものである」ではなく「家長むぎとはこういうもので、こうあるべきものである」というものに過ぎません。つまり家長むぎはVtuberについて複数の在り方を認めており、その中から家長むぎがどの在り方を選び取ったのかということが配信の骨子になっています。

 この記事では家長むぎが残したいくつかのキーセンテンスを通して、家長むぎから見た家長むぎというものを解釈していくことを目標とします。なお当然筆者は家長むぎではありませんので、この記事で提示される解釈が正しいという訳ではありません。

理解すべきキーセンテンス

①私はむぎじゃない。むぎはむぎ。

②むぎは家長むぎをむぎ自身にしたいんだけど、それは家長むぎを利用してむぎになりたいんじゃなくて、家長むぎにむぎがなりたいってこと

意味わかんね~~~~~~~~~と思ったあなた、奇遇ですね。私にもわかりません。

結論から教えて!!!!

家長むぎにとって家長むぎとは、家長むぎを借りた家長むぎの人生そのものであり、家長むぎの目標は家長むぎが家長むぎによって家長むぎとして生きられるということにある。

なんもわからんあなたも、なんとなくわかった気になったあなたも、一緒に家長むぎの思考を辿っていきましょう。

登場人物紹介

「私」

家長むぎにとっての「私」。これは我々リスナーがどうとかなんとか関係なく固定された対象である。我々は「家長むぎ」「むぎ」を通してようやく観測した気分になることができる。

「むぎ」

17歳の高校1年生。中学を留年している。
食べることが大好きだが、料理が壊滅的に下手。よくゴミ袋と猫を間違えてしまう。友達を作りたくて配信を始めた。

「リスナー」

日々Vtuberを見てニチャついているオタクの集団。実は「私」「むぎ」とともに「家長むぎ」を構成する要素であるがそのことに気付いていない。鈍感系かも。

「家長むぎ」

にじさんじ所属のバーチャルライバー。家長むぎに関わるもの全ての情報や思いなどが生み出した概念である。「私」「むぎ」「リスナー」の三要素が不可欠。人々の内部にのみ存在するものであるために外から見ることはできない。

家長むぎと生

家長むぎにとっての生

まずはキーセンテンスが放たれる以前に家長むぎが言ったことを辿っていきます。特に押さえておきたいのは家長むぎが「生」および「死」についてどう考えているかということです。そのことに関して言及してそうなところを引用してみます。

・「人生」と「生きる」は大体同義。

・他者から見て生きていても個体として死んでいたら「死」。どれだけ人々の心に残ろうと死んでいるなら死んでいる。

 これらの発言、および生死にかかわる話題でたびたび出てきた「自我」という言葉を合わせて、家長むぎ流の「生きる」をこう定義してみます。

「生きる」とは、「自我」が連続する状態のことである。また、「生きている」期間のことを「人生」と呼ぶ。

「生きている」とわかるから「生きている」という状態にある、とも言い換えられます。

家長むぎにとっての自我

当然、ひょっこり登場した「自我」についても定義する必要があります。というわけで「自我」について言及してそうなところを引用します。

・他人と関わって、「他人の考える自分」と「自分の考える自分」のギャップを自覚することで自我を確認することができる。恐ろしいねぇ…。

・自我って自分ひとりで形成されるものではない、というのがむぎの考え。

・他者を使った自我の認識がメインなんじゃないかなって思う。

 自我についてはかなり直接的に家長むぎによるイメージが語られています。これを踏まえて家長むぎ流の「自我」をこう定義します。

「自我」とは、自分の行動に対する他の反応を確認することで生まれる感じ方の変化である。

 この後のことも考えて、一般に使われる「自我」という日本語よりもかなり広い概念として「自我」を導入しました。ここの「他」とは人に限らない自分以外のことを指します。同じように「感じ方」とは感情に限らない感覚一般のことを指します。

家長むぎにとっての「生きる」

以上のことから、家長むぎにとっての「生きる」ということを定義することができました。

家長むぎにとって「生きる」とは、自分の行動に対する他の反応を確認することで感じ方が連続的(継続して)変化するということである。

例えば「音楽を聴く」という行動を選択するとき、音楽によって音の感じ方がずっと変化していて、だいたい感情の感じ方がずっと変化していて、場合によっては振動で触覚の感じ方もずっと変化しています。これ家長むぎ的にはめちゃくちゃ生きてます。

「家長むぎ」にとっての「生きる」

これを「家長むぎ」に当てはめて考えると、①「私」がまず行動を起こすと決めて、②「むぎ」によって行動が外界と接触し、③他である「リスナー」が反応し、④「むぎ」がそれを受け取って、⑤「私」の感じ方が変化するということになります。

この「私」→「むぎ」→「リスナー」→「むぎ」→「私」の流れがないと「家長むぎ」は生きられません。逆に言うと「家長むぎ」の生には「私」「むぎ」「リスナー」の三要素が必要です。

「家長むぎ」が死ぬ

家長むぎにとって引退とは?

配信内で家長むぎは、「家長むぎ」にとっての引退について語っています。

・家長むぎの卒業、家長むぎの引退は死です。
・他殺か自殺かでいうならば、心中かな。
みんなにとっての家長むぎと、家長むぎにとってのあなたを抱えて死ぬ。

 先ほどの「生きる」のテーマに沿ってこれを考えてみましょう。家長むぎが引退するとき、「私」は何をして、「家長むぎ」はどうなるのでしょうか。

家長むぎの「死」

家長むぎは引退すると死にます。「死ぬ」は「生きる」の裏返しであると考えると、先ほどの定義を利用してこう言い換えることができます。

家長むぎの引退とは、「私」が行動しなくなり、他の反応を確認しなくなることである。

Vtuberを引退するということは、「家長むぎ」はそれ以上人に何かを発信しないということになります。これは定義上「死んでいる」と十分に言えます。

家長むぎの「死因」

家長むぎの死因は「心中」だそうです。家長むぎは、「家長むぎ」が死ぬとき、「リスナー」も一緒に死ぬ(殺す)と言っています。これは「家長むぎ」三要素を考えると以下のように言えます。

心中とは、「家長むぎ」から「私」及び「リスナー」がいなくなるということである。

ここでわざわざ「心中」と言っているのは、「私」のみならず「リスナー」もいなくなるということを強調するためでしょう。

「心中」ということの意味

「心中」するのは強い覚悟のいることであると家長むぎは語っています。このことから「リスナー」がいなくなるというのは、「家長むぎ」の引退とともに「私」が「リスナー」を忘れることで「リスナー」という存在を「家長むぎ」から殺すということだと考えられます。

家長むぎにとっての「家長むぎ」

この項では「私」にとって「家長むぎ」の死が明確に定義されていることが分かりました。つまり、「私」にとって「家長むぎ」は生と死がはっきりしたものなのです。これは以下のように言い換えることができます。

家長むぎにとって、もしくは「私」にとって「家長むぎ」は人生そのものである。

「家長むぎにとって『家長むぎ』の引退は死である」ということの裏返しから得られる結論をおよそ3000文字使って解釈してまいりました。さて、これからはいよいよ「私」にとって「家長むぎ」はどうあるべきかということを探っていきます。

キーセンテンス①の解釈

誰が誰と一緒なの?

私はむぎじゃない。むぎはむぎ。

 記事内で使っている括弧付きの用語は家長むぎの発言と対応しているものではありませんので、家長むぎの発言における「私」「むぎ」をこの記事内の定義に則って変換する必要があります。

ここで問題になるのは、「私」「むぎ」「家長むぎ」という3つの要素が存在するにも関わらず、家長むぎはそのうち2つの関係にしか言及していない点です。言葉が使い分けられていない以上解釈のしようがないので、別のところから考えてみましょう。

「私」と「むぎ」と「家長むぎ」と

「私」と「むぎ」と「家長むぎ」。これに近いところで家長むぎはこう発言しています。

家長むぎって肉体の拡張じゃないんだよね。家長むぎという存在は自我の拡張。

 「家長むぎという存在」という言葉から、2文目は「私」にとっての「家長むぎ」が肉体の拡張でなく自我の拡張であるという意味だと考えられます。自我の拡張なわけですから、何か「他」が必要ということになります。この「他」というのが「肉体の拡張でない」もの、つまり「むぎ」そのものです。つまりキーセンテンス①はこう解釈できます。

「私」は「むぎ」じゃない。「私」は「家長むぎ」。

家長むぎに自我が2つ…来るぞ遊馬!

さて、ここまでで家長むぎに関連した2つの自我が出現したことにお気づきでしょうか。「私」の自我は「むぎ」と向き合って生まれるもの、「家長むぎ」の自我は「リスナー」と向き合って生まれるものであるので、この二つは別物であるということが分かります。2つの自我が存在するということは当然そのズレが生じるはず。という訳でキーセンテンス②に移りましょう。

キーセンテンス②の解釈

むぎむぎ言いすぎてわからん

むぎは家長むぎをむぎ自身にしたいんだけど、それは家長むぎを利用してむぎになりたいんじゃなくて、家長むぎにむぎがなりたいってこと

どの家長むぎがどの家長むぎであるかは全くわかりませんが、「家長むぎが家長むぎになりたくて、その方法が2つある」というようなことが分かります。これは、「Vtuberとしての複数の生き方から家長むぎはどれを選んだか」というこの配信の内容にとても近い部分だと考えられます。

ズレてるものは?

「家長むぎをむぎ自身にしたい」という一節から、家長むぎとむぎが別物でそこにズレが生じているということがわかります。「むぎ自身」という言葉からも、これは「私」の自我と「家長むぎ」の自我との関係を言った言葉と考えられます。ということは、「私」と「家長むぎ」を近づけるときに「家長むぎを利用する」過程と「家長むぎにむぎがなる」という過程があるようです。

自我のズレ解消法

「私」の身の振り方で「家長むぎ」と「私」とを近づける2つの方法として考えられるのは、「『私』を『むぎ』に近づける」という方法と、「『家長むぎ』を『私』に近づける」という方法です。

「私」を「むぎ」に近づけるとは、いわば「私」が「むぎ」の様子を想像してそれに近い行動を取るという方法です。「『むぎ』を演じる」と言い換えることもできます。対して「家長むぎ」を「私」に近づけるとは、「私」を強く発信することで「リスナー」から見た「家長むぎ」を変えていくという方法です。「『リスナー』を誘導する」と言い換えることもできます。

2つともVtuberとしての生き方として自然なものですが、家長むぎはどちらを選んだのでしょうか。

メタいってなんだ?

どちらを選択したかのヒントは、この発言にあります。

家長むぎは家長むぎでは出来ないことはあるけれども、少なくとも家長むぎは家長むぎができなかったことを家長むぎにやらせようとして家長むぎから家長むぎがにじみ出てくるようなメタいことをしない。

 注目したいのは「家長むぎから家長むぎがにじみ出るようなメタいこと」という部分。これは「むぎ」から「私」がにじみ出ることを「メタい」と表現しています。とはいえ常に「むぎ」を通して「私」は見えているはずですので、これは「私」のうち「むぎ」を通して「リスナー」が観測しえないはずの部分が見えてしまうという意味の表現です。

ということは家長むぎが選択しなかった「家長むぎを利用する」過程では、「私」の部分ごとの乖離がとても大きくなるということが分かります。これは「『私』を『むぎ』に近づける」という方法のことでしょう。

つまり、家長むぎは「私」と「家長むぎ」とを近づけるのに、「『私』を『むぎ』に近づける」という方法ではなく「『家長むぎ』を『私』に近づける」という方法を取ったのです。

これがまさしくキーセンテンス②の解釈です。

家長むぎ人生

「私」にとって「家長むぎ」は人生であるということは先に述べた通りです。ここで「家長むぎ」がどういう人生であるかについても考えてみましょう。配信ではこう言及されています。

(家長むぎにとって)Vtuberは人生のサブ垢ではない。

ここでいう「サブ垢」とは、本垢と連動していないタイプのものを指すのではないでしょうか。つまり家長むぎにとってVtuberは「第二の人生」ではなく、「私」の人生そのもの、もしくはその延長であることが伺えます。これはこの項で述べたこととも一致しています。

家長むぎを理解しろ!

以上が当該配信からうかがえる「家長むぎ像」です。これに従って先に述べた結論を括弧付きの言葉に書き換えると以下のようになります。

「私」にとって「家長むぎ」とは、「むぎ」を借りた「私」の人生そのものであり、「私」の目標は「むぎ」が「私」によって「家長むぎ」として生きられるということにある。

あくまで一つの解釈に過ぎませんが、こういった考えを基にすると配信内での発言がよく理解できると思います。この解釈が正しそうか間違っていそうか、また皆様自身はどう感じるかということを確認するためにも、もう一度配信の特に後半部分を視聴してみることをおすすめ致します。

(記事作成:852)

 

家長むぎによる「家長むぎ」論について

皆さんこんにちは、京都大学バーチャルYouTuer同好会のすとらです!

普段はVtuberについての自らの無知を自覚し「Vtuberワカラン」を口癖に生きております。Vtuberワカラン。

さて、そんな私が今回お話しするのはこの配信についてです。

実は私は「ものを考える」ということが大好きで、定期的に河原のベンチでぼーっとしながら物思いにふけるという趣味を持っています。そんな私にとってこういった哲学的な話題と言うのは大好物、この配信が告知されたときからワクワクしていました。

 

そもそも家長むぎについて

 この記事を読んでいる人はおそらくむぎむぎのことを知っているので語るまでもないでしょう。普段の配信ではゲームしながらたまに高音絶叫を響かせる彼女ですが、好きな本としてニーチェの『善悪の彼岸』『悦ばしき知識』やエンデの『はてしない物語』を挙げるほど哲学が好きであることでも知られています。noteやinstagramでは自らの考え方や人生観についてたびたび語っており、その端々から本当に様々な物事について普段から考えていることが感じられます。

 

配信の話について

 配信上では「生きるとは何か」「人生の短さについて」「学問とは何か」「頭がいいとは何か」などの話をしていましたが、今回は最後に語られた「家長むぎのあり方」について私なりの解釈を展開していきたいと思います。大前提として、この解釈が「家長むぎが伝えたかった事」と一致しているとは限りません。また、この記事は家長むぎの在り方やそのほかのVtuberさんの活動について否定するものではありません。『家長むぎ論』は他のVtuberの在り方を肯定・否定するものではなく、家長むぎのみに当てはまる論だと考えています。

 まず、この記事は最初に貼った家長むぎの配信を見ていることを前提とします。上記配信の冒頭で注意喚起が行われておりますので、そちらの視聴をお願いします。それを聞いてブラウザバックを考えた方はこの記事もブラウザバックしてください。

 

「家長むぎ」と「私」と「むぎ」

 家長むぎはにじさんじ所属バーチャルライバーとして活動している女子高生です。当然バーチャルライバーとしての姿が全てではなく、我々の知らないところで食事もするし、勉強もするし、ゲームもしているでしょう。そこには私たちが考える「バーチャルライバー家長むぎ」とは少なからず差があるはずです。この実在する存在を「むぎ」と呼ぶことにします。また、「むぎ」には当然自我があります。「むぎ」として生き、「バーチャルライバー家長むぎ」として活動していく中で思考をめぐらしている彼女の自我を「私」と呼ぶことにします。また、「バーチャルライバー家長むぎ」のことを今後「家長むぎ」と表記することにします。

 すなわち、「私」の考えのもとで「むぎ」が「家長むぎ」として活動しているということです。「むぎ」と「私」には、活動する以前に15年間の人生があったし、当然この3年間に限って言っても「むぎ」の全てが「家長むぎ」としての活動であるというわけでもありません。

 

「家長むぎ」の卒業、引退について

(該当部分)

家長むぎの卒業、家長むぎの引退は死です。
他殺か自殺かでいうならば、心中かな。
みんなにとっての家長むぎと、家長むぎにとってのあなたを抱えて死ぬ。

 配信中の発言から3つをピックアップしました。先ほどの定義にのっとって書き換えてみると、私は以下のようになると考えます。(2つ目はそのままなので省略します)

  • 「家長むぎ」の卒業、「家長むぎ」の引退は死です。
  • みんなにとっての「家長むぎ」と、「私」にとってのあなたを抱えて死ぬ。

 ここで大切になってくるのが”死とは何か”ということだと思います。この配信ではこれ以前に”生きる”ことの定義を行っています。

 (該当部分)

 ここで、"生きる"ということが"人間として文化的に生きる"ことであると説明されています。"人間として文化的に生きる"ということは、最低限"自我を認識"している必要があると思います。(これはあくまで必要条件だと考えています。)"自我の認識"についても同様にこの配信内で触れられており、「他者を経由した自我の認識がメイン」と言っています。

 このことを踏まえると、「家長むぎ」の死とは”「私」を含め誰からも「家長むぎ」の文化的生存を認識できなくなる"と言い換えることができるのではないでしょうか。リスナー視点では「家長むぎ」が卒業、引退してしまっては当然「家長むぎ」の今を認識する方法はありません。場合によっては卒業、引退したライバーの話が現在活動しているライバーから語られることはありますが、このように「私」が言っている以上限りなく無いに等しいと考えた方がいいと思います。すなわち、我々からの呼びかけに一切答えてくれない"文化的死"の状態になるということです。

 ここで大切になってくるのは、「私」も「家長むぎ」の文化的生存を認識できないということです。本来ならば、「家長むぎ」が卒業しても「家長むぎ」を認識している他の人を通すことで、「私」だけは「家長むぎ」を生かし続けることも可能です。しかしここでは、「家長むぎ」を認識している他の人との関与を遮断することで、"意図的に"「家長むぎ」を殺す、例えるならば”「家長むぎ」を意図的に何もない密室に閉じ込める"ことを考えているのだと思います。

 ですが、配信上でも言っていた通り完全に消滅させることはできません。それは、「家長むぎ」のことをリスナーが忘れないから、「家長むぎ」がいた証拠をこの世からすべて消すことが不可能だからでしょう。だからこそ、誰からも干渉できない密室に閉じ込めるというのが適切な表現になると思います。

 また、3つ目の言葉を解釈すると、「家長むぎ」の卒業、引退とともに「家長むぎ」にとってのあなた、つまりリスナーが死ぬということもになります。ここでいうリスナーが死ぬとは、当然リスナーの"文化的死"を意味しているでしょう。リスナーの"文化的死"とは、「私」が「家長むぎ」を殺すことで、「家長むぎ」のリスナーがリスナーでなくなるということだと思います。当然、配信者がいなければリスナーは存在しえないですから、「私」が「家長むぎ」を殺してしまえば、私たちはリスナーではいられなくなります。

 まとめると、「家長むぎ」の卒業、引退が心中であるとは、「家長むぎ」と「家長むぎ」のリスナーがともに死ぬ、ということだと思います。これが真実ならば、「私」は「家長むぎ」が卒業、引退するとき、「家長むぎ」を知る全ての人を忘れる覚悟だということでしょう。確かにこれができる人はなかなかいないと思います。

 

「家長むぎ」の在り方について

(該当部分)

 この部分が最も解釈に苦しんだところです。該当部分以降のすべての発言を言い換えたいところですが、それをすると(すでに膨大な)文字数が大変なことになってしまいます。ここでは、以下のセリフを抜粋したいと思います。

家長むぎという存在は自我の拡張。

家長むぎは家長むぎでは出来ないことはあるけれども、少なくとも家長むぎは家長むぎができなかったことを家長むぎにやらせようとして、家長むぎから家長むぎがにじみ出てくるようなメタいことはしない。

わたしはむぎじゃない、むぎはむぎ。

むぎは家長むぎをむぎ自身にしたいんだけど、それは家長むぎを利用してむぎになりたいんじゃなくて、家長むぎにむぎがなりたいってこと

いやなことは、むぎが家長むぎを利用すること。

何か目標を達成する手段としてむぎであるんじゃなくて、あくまでむぎとして生きたいって感じなのかな(コメントより)

  ここの家長むぎが「家長むぎ」「私」「むぎ」のどれに該当するのか、これだけでは複数の解釈が可能だと思います。ここでは解釈の一例を載せておきます。

  • 「家長むぎ」という存在は自我の拡張。
  • 「私」は「むぎ」では出来ないことはあるけれども、少なくとも「私」は「むぎ」ができなかったことを「家長むぎ」にやらせようとして、「家長むぎ」から「私」がにじみ出てくるようなメタいことはしない。
  • 「私」は「家長むぎ」じゃない、「家長むぎ」は「むぎ」。
  • いやなことは、「私」が「家長むぎ」を利用すること。
  • 何か目標を達成する手段として「家長むぎ」であるんじゃなくて、あくまで「むぎ」として生きたいって感じなのかな

 一つ目の理解には、"拡張自我"という単語そのものを知らなければならないでしょう。僕は哲学に関して無知なので詳しいことはわからないのですが、ニコニコ大百科に載ってたのでそのまま利用したいと思います。本来ならば原著を読むべきなのですが、ご了承ください。これによると自我の拡張とは肉体の外側にある自己表現の形らしいのです。配信中に言っていた「体が貫通すると痛いの、首が折れると痛いの」という発言は、「家長むぎ」が自らの自己表現の形であるから、「家長むぎ」が傷つくのは自らの自己表現の損傷に当たるから「私」が痛いと感じるのでしょう。

 二つ目の話の前に三つ目の話をしたいと思います。私の解釈では、日本語を補足すると"「私」は「家長むぎ」の全てじゃないが、少なくとも「家長むぎ」の活動は「むぎ」そのものでしかない。"となります。前半部分は、「家長むぎ」は「私」とリスナーの双方向性の活動によって構成されるものなので全てにはなりえないでしょう。後半部分は日本語の通りで、「家長むぎ」は等身大の「むぎ」を映し出しているに過ぎないという意味だと思います。

 このことを踏まえると、二つ目の理解が多少は楽になるのではないでしょうか。中盤までは日本語の通りですし、最後のところは「家長むぎ」から「私」がにじみ出ることで「家長むぎ」が等身大の「むぎ」以上のものになってしまわないようにしているということだと思います。

 ここで解釈に悩んだのが”利用する”の意味でした。純粋に用いる、利益のために用いる、従属的なものを用いる、様々な意味を含有する"利用する"ですが、私の解釈では”利益のために用いる"が最も近いのではないかと思っています。利益の形は様々で、個人的に想像するだけでも人気・知名度・収益といったわかりやすいものから、バーチャルに存在している(=バーチャルでしか出来ないことができる)ということもバーチャルライバーとしての利益の一つと言えるかもしれません。ここでいう利益が何を指すのかはわかりませんが、これらの一部あるいは全てを指して"利益のためにバーチャルライバーでいたくない"と言っているのではないかと考えています。

 これらを全て集約するものが、コメント欄から出てきた4つ目の言葉だと思います。「私」は、これまで「むぎ」として生きてきた人生と同じように、等身大でありのままの「家長むぎ」として活動してきたつもりだ、活動していきたいという「私」の想いが伝わってきます。

 

おわりに

 この配信を通して、むぎむぎが普段からどんなことを考えているのか、何を考えてバーチャルライバーとして活動しているのか、その一端に触れることができたように感じます。もちろんこの記事は私の考察を述べたものにすぎず、正しさの保証などないわけですが、それでもこの記事を読んだ肩の思考の一助になっていれば幸いです。最後に、この記事を書くにあたって僕の思考の整理の手助けをしてくれた2人の同好会員に感謝と謝罪を。あの時話し合ったことうまく組み込めなくてごめん。

 もしかしたら、ここで触れられなかった前半部分などの話題などについて考察することがあるかもしれません。頭が良いの定義に関する話とかは面白そうですしね。ですが今日はこの辺で筆をおかせていただきます。本日は最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

 

(記事作成:すとら)

.d.I.V.a.史 [始動~1ヵ月]

「.d.I.V.a.」というユニットをご存じでしょうか。2021年2月デビューの新人ながら、早くも全国ツアーライブ及び武道館ライブが(筆者の脳内だけで)確定している今話題のボーカルユニットです。詳しくはこちらの記事をご覧ください。

武道館ライブでこのユニットを知ってくれた方にも負担なく過去の.d.I.V.a.を知っていただけるように、1ヵ月ごとにこのユニットを振り返っていきたいと思います。

今回は.d.I.V.a.始動から1ヵ月間を振り返ります。なお、.d.I.V.a.始動前についてはVメゾンwikiが詳しいのでそちらをご参照ください。

第一週

いわずもがな.d.I.V.a.が始動した週。とはいえ惡ノろくのマイクラ配信など後につながる要素が早くも出てきていることがわかる。

歌動画

全てはここから始まった…とりあえず見とけ。

コラボ配信

二人の初配信。最高にイチャイチャしてて本当に良い。音量に問題がある。

ピックアップ-天ノおと

やはり歌枠をピックアップする運びとなりました。惚れたので。

ピックアップー惡ノろく

サムネ可愛すぎワロタ。上記惡ノろく紹介記事で触れてるので見てね。

第二週

第一週の課題でもあった配信の音量問題が解決しはじめ、.d.I.V.a.の本当のスタートが切られた週。(だと勝手に思っています。)

歌動画

2人とも英語歌詞のVOCALOID楽曲。英語の歌もつよつよな所を見せつけた。

コラボ配信

左耳からろっくんが話しかけてくる配信。絵面が良い。音量に問題はある。

ピックアップ-天ノおと

天ノおと初めてのホラゲー配信。お化けに物怖じしない姿勢が好きです。

ピックアップー惡ノろく

ママでもある愛尾みすずとのコラボ(愛尾みすず視点)。定番ネタ「ちゃんと考えて喋ってる?」が生まれた配信でもある。

第三週

この週から惡ノろくが無限にマイクラ配信をしたり昼活配信をしたりし始める。一方で天ノおともslither.ioやオトギリの完結編を迎えて軽い転換点となった週である。また、同じVメゾンから後輩ユニット「JKで魔王ですが何か?」がデビューしたのもこの週。

歌動画

あ!この曲知ってる!コーラスにも注目して聞いてほしいとのこと

コラボ配信

非常にリラックスした2人が見られる配信。バカ強いVメゾン管理人も見られる。

ピックアップ-天ノおと

同接15人ほどの視聴者の中にslither.ioガチ勢が存在して姫プする世界線

ピックアップ-惡ノろく

筆者の周りで伝説と語り継がれる配信。かしこい惡ノろくがみたい方におすすめ。

第四週

惡ノろくのYouTubeチャンネル登録者が1000人を突破した記念すべき週。天ノおとはDEVOURやEverhoodといった続き物のゲーム配信を、惡ノろくはマイクラと雑談を行っており、配信内容がとても安定しているといえる。ちなみに同じVメゾンの先輩、愛尾家の解散が発表されたのもこの週である。

歌動画

この週は映像面が特に強化されている。脱法ロックは惡ノろく自身によるイラスト。

コラボ配信

前半は小物で遊び、後半は心霊スポット風マップで遊ぶ2人が見られる。

ピックアップ-天ノおと

.d.I.V.a.+JK魔王の4人で行われた初めてのコラボ。この後複数回行われることになる。

ピックアップー惡ノろく

惡ノろくの雑談、かわいい。(当然の事実) ※別にうかれてません←かわいい

おわりに

配信を中心として.d.I.V.a.最初の1ヵ月を振り返ってまいりました。ほぼ日2~3時間の配信と週一のユニットコラボ、歌動画と活動1か月目にして早くも安定感を獲得していたように感じられました。そろそろ配信を見なければならないのでこの記事は以上と致します。

(記事作成:852)

【かなしい】紹介できなくなってしまったVtuber【供養回】

みなさんこんにちは 普段は音楽ゲームウマ娘の育成に注力しております、京都大学バーチャルYouTuber同好会所属の852と申します。

実は普段League of Legendsで暴言を吐く以外にも、弊サークルが運営しているもう一つのブログ「V推しなんしょ」で1ヵ月に2~3回Vtuberを紹介しております。ですがブログを書き始めて3か月半の間に、いつか紹介したいと思ってチェックリストに入れているVがどこか遠いところに行ってしまったみたいな悲しいことがありました。というわけで今回はそういったVtuberから代表して2人紹介していきたいと思います。

1.天風しゃの

紹介できない理由:失踪

天風しゃのは(元)天使の個人勢Vtuberです。その清楚な見た目や声と裏腹に適当な発言が多く本当に聞いていて飽きない雑談配信が特に面白い…のですが2月を最後にTwitterの更新が止まってしまいました。あのお願いなので戻ってきていただけませんでしょうか。

しゃののスリーサイズは、上からぁ、40、3、40です!

クソリプ送り主の家の天井に張り付く天風しゃの    天井に張り付くFAお待ちしてます

ホラゲーで怖いと思ったら即座に辛い物を食べる配信

こんな言動ばっかりしてるのにシチュボは真面目

繰り返します。お願いなので戻ってきてください。お願いします。配信楽しみにしてますので。

2.白鳥くるみ

紹介できない理由:卒業

白鳥くるみは3つのオリジナル曲を持つ、声優を目指す京野菜大好きVtuberです。配信内容としては朝配信や割と長時間のゲーム配信、歌配信など。声優を目指しているだけあって喋り方や発声、滑舌がはっきりしていて聞いていて疲れない一方で濁点がついた感じの声もよく出すハイテンションな配信が本当に楽しかったです。2年強高頻度で配信活動を続けられてきたのですが、声優を目指すという目標に本腰を入れるためにVtuberとしての活動は卒業されてしまいました。早く紹介すればよかった。

オリジナル楽曲「明日のための魔法」

3分でわかる白鳥くるみ 声かわいい~~~~

卒業配信 泣いちゃう…

V推しなんしょをあと3か月早くはじめていればと思うばかりです。活動お疲れさまでした。

 

 

以上2名のVtuberを紹介しました。見つけたVtuberがすでに引退していた時の悲しみを共有する記事みたいになりましたがみなさん推せるときに推しましょう。好きなVtuberは無限にいるので見つけられるうちに見つけましょう。

文野環の指示厨カレーを作ろう!

先日にじさんじ所属ライバー「文野環」が視聴者の親のコメントを集めて指示厨カレーを作るという配信を行いました。

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文野環が作ったこの指示厨カレー,一体どんな味がするんでしょうね...?という訳で再現してみましょう!

 

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今回製作を目指す文野環作の指示厨カレー

(参照 https://twitter.com/nekokan_chu/status/1378661829606469633?s=20 ) 

 

🍛文野環の指示厨カレー🍛

 

~材料について~

 文野環の配信を精査して,まずは何が使われているのかを確認しましょう。配信の初めの方に今回使用する野菜とカレールーが映っています。

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 こちらに映っている野菜(?)を確認すると
・じゃがいも
・にんじん(皮をむかなくてもいいにんじんらしい)
・玉ねぎ(新玉ねぎ?)
・ドラゴンフルーツ
が映っています。なんでドラゴンフルーツなんてものがカレーの材料として居座っているのかは謎ですが,そんなこと考えても「文野環」で片付くのが怖いですね。

 さらにカレールーについて見てみると,うっすらと甘口の表記が確認できます。実際に配信内においても文野環が「カレールーは甘口が好き」と発言していることを確認できます。

 

その他使用している肉については配信の1:00:17では「小間切れってやつだよ」,1:02:50において「豚肉炒め」との発言があったため豚の小間切れ肉を用意します。

さらに1:38:23ではカレーが美味しくなるように飾り付けとして「葉っぱとお花」を用意したと発言しています。これらは実際の完成品を見ても確認できます。 

他にもご飯の代わりにポップコーンを使っています。

 

という訳でこれらを用意しました!

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*配信で用いていたようなポップコーンを調達できなかったため,こちらのようなタイプのポップコーンで代用しました。

 

 ~作ってみよう~

 先ほどの文野環の配信のアーカイブを確認しながら指示厨カレーのレシピを見ていきます。まずは野菜の下処理から始めます。初めににんじん,ドラゴンフルーツを水で洗い,玉ねぎの皮をむきます。皮をむいていないドラゴンフルーツを洗うことに疑問を抱いてはいけない。
その後じゃがいもを洗い,視聴者さんの親にさんざん言われて渋々じゃがいもの芽を取って野菜の下処理は終了です。

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次に野菜を順番に切っていきます。じゃがいもは一口大の大きさにカットします。説明が分かりやすい視聴者さんの親のおかげで,一口大が消しゴムサイズの大きさだと分かった文野環が独特な直方体の切り方をしたのでそれに合わせます。今回は新学期が始まるということで,新品の消しゴムのサイズを意識してじゃがいもを切りました。

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(端材が多く出たのでそちらもすべてカレーに投入します)

そして切り終わったじゃがいもは水にさらしておきます。

 

にんじんは上のヘタの部分を切り落として小さく切ります。切り方についての指示は確認できませんでしたが,完成品を見るとにんじんが円柱形になっているため輪切りにします。配信では皮まで食べられるにんじんを用意していますが,そのようなにんじんを調達できなかったため普通のにんじんを用いています。

 

玉ねぎはみじん切りにするという指示が出ていましたが,文野環の方がやる気をなくしかなり適当な荒い半月切りになりました。配信では荒い半月切りの玉ねぎの写真を公開した後に視聴者さんの親に怒られ,反省して何度か玉ねぎを切る音が聞こえてきたのでもう少しカットを加えます。今回は下の写真のように包丁を入れました。

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次に切った野菜に火を通していきます。視聴者さんの親たちのカレー作り派閥論争の末決まった,玉ねぎ→にんじん→じゃがいもの順番で野菜に火を通していきます。玉ねぎ入れる前に油を鍋に潜影蛇手しておきます。配信では玉ねぎを入れた後にかなり大きな油のはねる音が聞こえてきているので,油を入れすぎたか水分が多く混入してしまったかのどちらかだと思われます。今回は油を入れ過ぎたと考えて少し多めに油を注ぎます。
そしてにんじんを入れるときにも油を潜影蛇手し,じゃがいもは水から取り出して鍋に入れて野菜パートは終了です。現時点でこのような状態です。

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まだ普通のカレーができそうですね。

 

野菜に多少火が入ったら豚肉も投入して加熱していきます。そしてここからドラゴンフルーツの出番です。ドラゴンフルーツを4等分にくし切りしてまずは味見をします。

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ドラゴンフルーツをそのまま食べるとスイカに近いフルーツ特有の甘さを感じた後に酸味を感じるような,まさにフルーツといった味がしました。文野環が言っていたように美味しくない訳ではなかったため,その点は安心でしたがカレーに入れる味ではないなとは思いました。

ドラゴンフルーツもさらに小さくカットして火を通していきます。(カットの指示はありませんでしたが完成品や途中の様子を見る限り大きな塊が見受けられなかったため切ったと判断しました。)これでカレーの具材がすべて揃いました。ドラゴンフルーツがひと際存在感を放っていますね。

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次にこちらの鍋に水を入れていきます。今回は文野環が使用したものと同じカレールーを調達したため,入れる水の量も同じく600mLです。そして水が沸騰するまで待ちます。この間に文野環は歌を歌っていたため,何か適当に歌います。今回はカレーを作りながら聴いていたこちらの曲たちを歌って沸騰を待ちました。

鳥の詩 covered by ヰ世界情緒

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春を告げる covered by 獅子神レオナ

youtu.be

不埒な喝采 feat可不

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十分に歌い終わったら灰汁を取って弱火にします。そしてこの時にポップコーンを作り,カレールーを潜影蛇手して少しかき混ぜて溶かしきったら完成です。

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 ドラゴンフルーツが入っていること以外いたってシンプルな見た目のカレーができました。個人的にはもっと奇抜な見た目のカレーになってしまうと思っていたのですが,思ったよりもドラゴンフルーツの種が拡散しなかったため杞憂に終わりました。

そして最後にこのカレーを盛りつけます。ご飯の代わりにポップコーンをよそい,カレーをかけ,おしゃれにするために草を生やします。今回はイタリアンバジルを調達して生やすことにしました。文野環が使ったと思われる食用菊は少々値が張ったので,そちらの再現を諦めました...このようにして出来上がった文野環の指示厨カレーがこちらになります!

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~食べてみよう~

せっかくたくさん作ったので,数人を呼び出してみんなで文野環の指示厨カレーを食べることにしました。味の感想としては...

・ポップコーンのバターの風味が意外とカレーに合っており,ご飯の代わりとしてまだ耐えている

・カレールーがしっかりしているおかげでちゃんとしたカレーになっている

・ドラゴンフルーツのほのかな甘みが消え,触感と酸味だけが残ったためトマトのような感じがする

といった具合でした。既製品のカレールーが非常に優秀で,カレーとしての味がぶれていないため普通に美味しいカレーになっていました。またドラゴンフルーツに関してもカレーにトマトが入っているような感覚だったため,味に関しては特に問題点はありませんでした。作ろうと思ったときは,まさかこんなにも普通に美味しいカレーになるとは思っていませんでした...

 

~材料費について~

最後にかかった材料費を記載しておきます。文野環の指示厨カレーを食べてみたい方は是非参考にしてみてください。
文野環の指示厨カレー4人前

・新玉ねぎ小3個  64円
・にんじん2本  108円
・じゃがいも2個  216円
・小間切れ豚肉  306円
・ドラゴンフルーツ324円
イタリアンパセリ4本  36円
・ポップコーン  214円
・カレールー(1/2) 85円       計1353円

(ドラゴンフルーツを安く買えたため,材料費を抑えることができました。)

 

(記事作成:城垣)

新ブログ始まります!

限界大学生たちのたわいもない日常

皆さまこんにちは!京都大学バーチャルYouTuber同好会、会長のすとらと申します。

このブログにたどり着いた皆様はご存じかとは思いますが、弊同好会では「V推しなんしょ」というVtuber紹介ブログを昨年末より書き始めました。見たことないよ!っていう方はこのブログを読んでいる暇があったら下のリンクから読みに行ってください。

 

さて、講釈を垂れながらこんなブログを書いている弊同好会ですが、その実態はただのオタク大学生の集まりです。崩壊した生活習慣の中で、単位と戦いながらtwitterやゲームを延々と続け、Vtuberの配信や動画でニチャつきtwitterやpixivに上がっている二次創作に感謝している人々の集まりでしかないのです。

 

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